お船を妻とし、ともに歩んだ地 長岡
長岡市内には信濃川を挟んで二つの『天地人』関連エリアがあります。西が与板、そして東が栃尾です。
上杉謙信の後継者争いとなった御館の乱後、兼続は直江家の婿養子として22歳で与板城主となります。新田開発や治水工事、打刃物産業の振興、市の開催など、経済全般にわたって城下の発展に力を尽くします。
当時家臣団で最高の5万3,217石という知行高を与えられ、国の執政として多忙であった兼続を支えたのは、姉さん女房の才女お船と、与板衆と呼ば れる直属の家臣団であったといわれています。現在でも与板の町並みには城下町の風情が残されており、当時を偲ぶことができます。
一方の栃尾は謙信初陣の地として、栃尾城や常安寺といったゆかりのスポットがあります。
西へ向かうと海沿いの出雲崎町には佐渡攻めの際の宿場となった多聞寺が、北の燕三条駅で新幹線を降りれば、謙信・景勝とも因縁の深い本成寺があります。
御館の乱後、兼続が城主に 与板城跡(長岡市) 〈アクセス〉JR長岡駅、北陸自動車道中之島見附IC |
|
法音寺(加茂市) |
|
本成寺(三条市) |
|
本与板城跡(長岡市)
直江家が景綱、信綱、兼続と三代にわたり居城としていた城。兼続の代から南方の与板城に移った。 |
|
多聞寺(出雲崎町) |
|
新潟県立歴史博物館(長岡市)
景勝が使用したと伝わる甲冑や書状、兼続の覚書などが |