金色夜叉の歌碑が恋人岬に
恋人岬へ向かう坂の途中に、歌碑があります。道から少し外れた海岸寄りにあるので、ちょっと見つけにくいかもしれません。この歌碑は、昭和43年に「金色夜叉」の歌を作詞作曲した宮島郁芳を宣揚するため、有志の手で建てられました。
10代20代なら「金色夜叉」をどう読んだらいいのかわからない方も多いと思いますが、尾崎紅葉が書いた明治時代の小説です。明治30年から読売新聞に連 載が開始され、5年後に尾崎紅葉がなくなるまで続きました。つまり未完成の小説なんですが、大正から昭和にかけて何度も映画化され、テレビドラマは昭和 30年から制作されています。
熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人づれ…で始まる流行歌「金色夜叉」は、柏崎市上方出身の宮島郁芳により、大正7年に作詞された、恋人たちがテーマの歌 なんです。宮島郁芳は明治27年、旧高田村の農家に生まれ、17歳のとき一家とともに上京、苦学しながら早稲田大学文科予科に入学し、文学を志しました。 しかし、社会主義運動に共鳴し活動に参加したことによって、大学中退を余儀なくされ、生活のため、自作の歌をバイオリンを手に街を流し歩く演歌師になりま した。
大正7年、浅草で芝居「金色夜叉」が好評なことからヒントを得て「金色夜叉」の歌を作詞作曲。公園などでバイオリンを弾きながら歌うと爆発的なブームとな りました。その後「流浪の旅」、「馬賊の歌」などを発表。また、熱海市で毎年1月17日に行われる尾崎紅葉を偲ぶ紅葉祭にも招待されました。
晩年、昭和43年地元の有志が発起人となり、「金色夜叉」の歌碑が建てられましたが、除幕式には74歳の郁芳も列席したといわれています。歌碑の裏手は日 本海。青海川駅から福浦の海が一望できます。風光明媚なところとして知られていたからなのでしょうが、恋人たちにふさわしいところです。